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怠惰な研究者の小学生時代②

自己紹介

こんにちは、怠惰な研究者です。

今回は前回に続き、私の小学生時代を振り返りたいと思います。4年生からです。

・4年生

小学校4年生になったときに所属していた部活動が廃部になりました。

6年生が卒業したら試合に出られるか出られないかくらいの人数だったのですが、

まさか廃部になるとは思っていませんでした。ニートの誕生です。

すぐに他の部活に入ろうと思ったのですが、他のスポーツの経験はほとんどありません。

まわりの同級生はすでに試合に出始めている友達もいて、その部活に初心者として飛び込む勇気がなかったのです。完全にチキンですね。

部活をやらなくなって、付き合う友達もがらりと変わりました。

部活の代わりにゲームをやっていたのですが、ゲームの上手い友達とつるむことが多くなりました。

ゲームが苦手な私からすると、ゲームが上手い人は憧れの存在でした。

が、飽き性な私にゲームは向いていませんでした。最初こそ憧れの気持ちがありましたが、同じゲームをやり続ける友達をみて、なんか違うなと感じたのを覚えています。

4年生は勉強もスポーツも遊びも全て中途半端な年でした。

自分の向き不向きがわかって良かったのかもしれません。

・5年生

5年生になってからは、バスケ部に入部しました。ついにニート卒業です。

バスケ部を選んだ理由は、周りより背が高かったからです。バスケは身長が高いほど有利ですからね。

初めて見学に行ったときにとても緊張したのを覚えています。

ですが、同級生がすぐ声を掛けてくれたので緊張はなくなりました。

普段なんとなく話していた同級生の知らない顔を見て、かっこいいなと思いました。

それからは、完全にバスケにのめり込みました。

昼休み、放課後の部活、家に帰ってからもバスケをやってました。上達していくのが楽しかったのです。

家にゴールを用意してくれた親にとても感謝しています。

身長が大きかったこともあり、5年生の後半からは試合にも出してもらえるようになりました。

試合で結果を残せるような実力はありませんでしたが、他の小学校の上手い選手と対戦できてとても良い刺激になりました。

5年生はまさにバスケ漬けの一年でした。

・6年生

6年生になってからも、相変わらずバスケ中心の生活でした。

6年生になってからは試合に勝ちたい欲が出てきて、ひたすら練習しました。

練習が休みの日には他の学校の体育館を借り、同級生で自主練をしたのも良い思い出です。

他の体育館の予約をとってくれたり、送迎をしてくれたり、保護者の方に恵まれていました。

自主練の成果なのか、試合でも少しずつ勝てるようになりました。

市の大会で万年最下位だったチームが、私の学年は3位になりました。

まあ、市内のチームは7チームしかないんですけどね。

引退試合は県内の全てのチームでのトーナメントだったのですが、なんとか1回戦は勝てたのですが、

2回戦の相手が第一シードでコテンパンにされて呆気なく終わってしまいました。

引退しても実感って湧かないんですよね。ぽっかり穴が開くとよく言いますが、あの感覚はなかったです。

次は中学で頑張ろうと、家のゴールで練習する日々に変わりました。

・小学校振り返りまとめ

小学校低学年は担任の先生の記憶が強く、小学校高学年になると同級生の記憶が強かったですね。

こうもはっきり分かれていて不思議です。精神的な成長が関係あるのですかね?今度調べてみます。

小学校の一番の思い出は、やはりバスケです。身長が高かったのも、前の部活が廃部になったもの運命だったりするんでしょうか。

一応、勉強や生活態度についても書いておきます。

勉強は困ることはなかったです。中学受験をするわけでもなかったので、のんびりやってました。

というか、中学受験という単語すら知りませんでした。

生活態度は良くはなかったです。人を馬鹿にして喧嘩したり、人から馬鹿にされて喧嘩したり、先生をおちょくったり、学校に落書きをして怒られたり、夜先生と鉢合わせして補導されたり(ランニングしてただけです)。

内容は可愛いですが問題は起こしてますね。その度に親に呼び出しがかかって、申し訳なかったです。

家での生活態度も普通ですかね。どこの家庭でも良くあることしかやってないと思います。

兄弟喧嘩やって、親に怒られる。これに尽きます。

まとまっているかわかりませんが、これにて小学生編完結ということで。

次回は中学生編です。ぜひ読んでくれよな。

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